昼夜二回の非常時興行

 兎に角我輩はその席上では菊池君をおひゃらかしてしまったというわけではないが、肝胆を照らして頼むわけには行かないで、余計な事ばかり喋べり散らしたので城戸四郎君などはイライラしていたようであった、その席はそれで済んだが、後で菊池君が脚色を辞退して来てしまった、興行者側では当惑したろうが自分の方では一向当惑しなかった、気に入った脚色が出来なければ上演しないまでの事だ、先方には幾らも好脚本はある筈、こちらは強《し》いて上演して貰う必要もないのである、然し興行者側としては折角ここまで来たものを脚色問題で頓挫せしむるのは忍びないことであると見えて、菊池君に代るべき脚色者をという話であったが生じいの脚色者では原著者が承知する筈はなし、そうかと云って岡本綺堂老《おかもときどうろう》あたりがやってくれれば申分はあるまいがあの人は絶対に他のものを脚色しない、そこで、興行者側も困り抜いて左団次一座の座附の狂言作者に切り張りをさせて誤魔化そうとする浅はかな魂胆を巡らそうとした策士もあったようだが、そんなことは問題にならず、そこでとうとう原著者自身に脚色して貰うより外はないということになって原著者自身が筆を取って脚色したのが白揚社から出版になった小冊子脚本全四幕のものであった。 ところが、その時は昼夜二回の非常時興行で、時間の組合せの上から二幕しか出せないということになった、しかもその二幕も間《あい》の山《やま》だの大湊《おおみなと》の船小屋だのいい処は除いて久能山と徳間峠しか出せないことになったから、ほんのお景物という程度に過ぎなかった。 左団次君とは紅葉館の前後、小生が左団次君の招待ということで、麻布の大和田で鰻《うなぎ》の御馳走になりながら木村錦花君川尻君あたりと話をした、そうしてどうやら斯うやら本郷座のタッタ二幕の上演を見るに至ったが、右のように間の山や船小屋のいい処が出ないで、比較的見すぼらしい二場所が出たのだが、あの時に松蔦君あたりに間の山のお君をさせ、左団次君に大湊船小屋の場を出させでもすれば同じ二幕でもずっと勝れた効果があったであろうが、余り効果が出ては困る人があったに相違ない、然し、左団次君の竜之助はたったあれだけでもなかなかの貫禄を見せ、その後病気で亡くなったが中村鶴蔵君のがんりきなども素敵な出来であって、昼夜二回興行のうち昼の部分はこの大菩薩峠と他に従来の歌舞伎劇が三幕ばかり、夜は菊池寛君のエノクアーデンを焼き直したようなものと、その以前に余輩が書いた黒谷夜話の中味によく似たところがあるという谷崎潤一郎君の「無明と愛染」というような新作を並べたものであったが、昼の方が興行的に断然優勢を示していたのは矢張り大菩薩峠の贔負《ひいき》が相当力をなしていたものと思われる。

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