ブース大将の演説会

 余が親しく風※[#「蚌のつくり」、第3水準1-14-6]《ふうぼう》を見た人物のうちでは救世軍の開祖ウイリヤムブース大将を以て最大不朽なる人物とする、日本へ来戦された当時東京座に於てブース大将の演説会が開かれた時、余も新聞記者の末席に控えて親しくその風采に接しその演説を終りまで聞いた、その時東京市長であった尾崎行雄氏が挨拶をし、島田三郎氏も何か話をしたと思うが両君共に甚だ背のひくい感じをしたが、今の山室中将その時は少佐位であったかしら、これが通訳を承ったが、これは実に両々相待って火花の散るような壮観を呈したのを覚えている、長身偉躯にして白髪白髯慈眼人を射るブース大将の飾らざる雄弁を引き受けて短躯小身なる山室軍平氏が息をもつかせずに火花を散らした通訳振りは言語に絶したる美事さであったと覚えている。 別の方面でこれ等のレベルに立つ偉人はまずトーマスエディソンであろう、この人は昭和五年余が四十六歳の時にこの世を去った。 それから政治家としてはグラドストン、ジスレリー、ルーズベルト、といったような人があり、芸術家方面ではロダンだのイブセンだのという人があるが、これは歴史的価値に於て前の人達とは大分に遜色があるようだ。 日本に於ては不世出の聖主明治大帝には蔭ながらにも親しく御俤を仰いだことの一度もないのは明治生れの自分として甚だ残念な次第である、それだけ自分の境遇というものが恵まれなかったのである。 それから明治の功臣としても日常写真顔で、もう別人ではない程に馴染《なじ》んでいながら親しく風※[#「蚌のつくり」、第3水準1-14-6]を見たことも極めて乏しい、板垣伯は余輩が小学校時代自由党の総理として我が郷里へ鮎漁に来たのか招いたのか――したことがある、その時に政客や有志家達が夥しく押し寄せて来た中に板垣伯がナポレオン式のヘルメットのような帽子を被《かぶ》り、鮎漁の仮小屋に腰をかけ瘠《や》せたからだに長い髯《ひげ》を動かして周囲の者を相手に頻りに話しをしていたのを覚えている、件《くだん》の帽子を被っていたから人相はよく分らなかった。 それから、伊藤博文公は韓国統監時代に李王世子のお伴《とも》をしてであったか、なかったか三越へ馬車(自動車ではなかったと思う)を乗りつけてそこから簡単に統監服のままで馬車へ乗り降りする処だけを見た、これも細かな表情などは少しも覚えていない、哈爾賓《ハルピン》で亡くなったのはそれから間もないことであった、それから原敬氏はこれも馬車であったか――たぶん箱馬車と思う――白髪に和服で悠然と納まり込んで走らせるのを見たし、都新聞の幹部会の時三縁亭の別室で一方には政友会の代議士総会があり、一方の別室に原敬と高橋|是清《これきよ》と野田卯太郎の三人が額を突き合せて話をしているのを見たことがある。

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