渋沢栄一翁の姿

 渋沢栄一翁の姿は時々見かけた、固《もと》よりこれも親しくは何の交渉も無いけれど、後にその令息の一人秀雄氏と帝劇の関係で知り合いになってから渋沢一家が大菩薩峠の熱心な愛読者であるということを聞いていた、老子爵も都新聞に連載時代から愛読して居られたような形蹟がある、これはまだ歴史の人ではないが岩崎小弥...

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大菩薩峠出版略史

 落語家で聞いたもののうちでは橘家円喬が断然優れていた。 浪花節で桃中軒雲右衛門も芸風の大きいことに於てずば抜けていた、剣道で旧幕生残りの人で僅かに心貝忠篤氏の硬骨振りが目に止まっているばかり。画家では芳崖も雅邦も玉章も見知らない、危険人物としては、幸徳秋水と大いに議論をしたことがある、まあそうい...

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犬養木堂

 犬養木堂は議会で見ただけであった、右掌を腮《あご》に、臂《ひじ》を卓上に左の手をズボンのかくしに突込んで、瘠《や》せこけたからだに眼を光らせて、馬鹿にしきった形で議会を見おろしていた処がなかなかよかった。 それから全く風采を見ない人であるけれども、同時代在野の政治家として、星亨ほどの人物は無いと...

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